宇宙混沌
Eyecatch

その花が枯れるまで


 正直、その屋敷の広さに面食らった。まさか、この島の丘のてっぺんにある、一番大きな館がドランクの実家だったなんて。
「おかえりなさい」
 客間に通される。出迎えたのは、ドランクと瓜二つの顔をした、美しい老女だった。
「十五年、いやもっとかしら。――が出て行ってから」
 澄み渡る響きの名前。ドランクの本名を知るのは、これが初めてだった。
「もうそんなに経ちます?」
 いつもの様に少しふざけた口調でドランクが返したが、女性はそれには応えず、とにかく座れと示してきた。ドランクと並んでソファに腰を下ろす。
「お母様はご健康そうで何よりです」
「……あなたがそうだから、お父様は……!」
 ドランクの母は一瞬声を荒げたが、客人の前だという事を思い出したのか、咳払いして静かに続ける。
「あなたが来るのが遅かったから、もう葬儀も埋葬も済ませました。……ところで、こちらの方は?」
「長年一緒に仕事をさせていただいている、スツルム殿です。僕が休業したら、彼女の今後の予定にも関わりますから」
「は、初めまして……」
 こういう堅苦しい形式の挨拶には慣れていない。噛みながらなんとかそれだけを言うと、母親はまるで品定めするような目であたしを見た。まあ、ただそれだけの関係ではない事など、察しているだろうな。
「あなたが傭兵の仕事をしている事は聞いて知っています。でも、これがお父様の遺言書です」
 差し出された手紙を、ドランクは受け取らなかった。読まなくても内容は想像ついている、という風に。
「お父様は何と?」
「……現金は私とあなたで半分ずつ。貴金属や装飾品の類は私に。その他の土地や株などの全ての資産はあなたに、との事よ」
「つまりは、取引先への説明も、今後の運用も全部僕がしろと」
 やはり、ドランクにとってはただの答え合わせだった様だ。
「ええ。私はお仕事については全く分かりませんもの」
 ドランクは母親に気付かれない程度に溜息を吐く。
「明後日にはあなたのお披露目会も開きますから。そのつもりで明日は動いてちょうだい」
「……解りました。長旅で疲れています。今日は夕食を戴いて、もう寝ても?」
「構いませんよ。ただ、その汚らしい格好で食事の間に入るのは許しません」
「……これは自分で誂えた仕事着です。着替えはしますが、そういう言い方はよしてください」
 ドランクはあたしを促し、立ち上がる。廊下に出た所で、使用人が声をかけてきた。
「お荷物をお部屋までお持ちいたします。旦那様」
 その呼び方に彼が複雑な顔をしたのを見てしまう。旦那様、か……。
 お前は、いずれこうなる未来を約束されて、他の夢なんて見る暇が無かったんだな。そして結局、その未来は避けられなかった。
「スツルム様も」
「あ、いや、あたしはいい……剣と着替えだけだし……」
「お客様にも喪服とドレスを仕立てて頂戴。最悪ドレスだけはお披露目会に間に合わせて」
 背後から母親の鋭い指示が飛ぶ。客人という立場上、あたしは何も言えずに、ドランクの部屋とは反対方向の客室へと案内された。

 エルーンの家にドラフの女が着れる服がある筈も無い。あたしは持っていた着替えの中で一番小綺麗に見えるものを選んで着替えると、食事の間に向かった。
 ドランクは既に一番奥の席に座っていた。使用人に示されるままに、その前の席に座る。向かいには母親の分の食器が用意されていた。
「ごめんね、知らない事だらけでびっくりしたでしょ」
 清潔なシャツに着替え、髪を結ったドランクが、いつもの調子で気遣ってくる。
「あたしは大丈夫だ」
 寧ろドランクのメンタルの方が心配だ。長年連れ添った仲だ、手紙を受け取ってからずっと、ストレスが蓄積していっているのは見れば解る。
「お母様、マナーとかに厳しいから、色々言われると思うけど聞き流――」
「食事中に無駄なお喋りをする悪癖は直っていないようですね」
「ごめんなさい、お母様……」
 入ってきた母親の言葉に、反射的にドランクが謝る。頭上の耳がぴくりと跳ねて、その後萎む。その様子で、だいたいの関係性は掴めた。
 無言の食事が始まる。これは……嫌な沈黙だ。
 あたしは仲睦まじい家庭しか知らない。家に帰る、というのは、温かい部屋と家族が出迎えて、癒してくれる事と同義だった。でも、ドランクにとってはそうじゃない。ドランクはこの家で日々、針で突かれるような小さな痛みと、真綿で首を絞められるような息苦しさを感じていたのだ。
 そしてある日、顔を切り裂かれ炎に焼かれる苦痛も。
 皮肉な事に、振る舞われた肉料理は、これまで食べてきた中でも指折りの美味しさだった。この家の主人を務めていれば、ドランクには毎日美味しい料理と、清潔な衣服と、その他の生活を豊かにする様々な物が約束される。傭兵稼業で、命を危険に晒す必要は無い。あたしが日々、この仕事でドランクが死んだらどうしよう、と心の隅で怯える必要も無い。
 ドランクは、どちらを選ぶつもりなのだろう。不自由な楽園と、自由のある修羅の道……。
 ワイングラスを傾けて色を見ているドランクの表情を追ったが、その答えは、まだ何処にも無いように思えた。

 客人用の風呂を借りて体を清め、部屋に戻る。屋敷が広い所為か、自分がベッドに倒れ込む音以外は無音で、幽霊屋敷に一人取り残されたような気分になった。
「うう……」
 しかし枕も布団も柔らかい。上等な羽が入っている様だ。この客室だって、いつもドランクと一緒に泊まるツインの部屋の倍の広さはある。
 幼心に憧れた生活。都会的な街を見下ろす屋敷で、お金に関しては何不自由無く、夫の愛情だけを受けて暮らす日々。決して夢物語などではなく、今ならドランクに一言強請るだけで手に入るのだ。子供は養子を取れば良いから、傭兵は引退しよう、って。今はまだ息苦しいかもしれないが、もうドランクがこの家の当主なのだ。これから状況を良くしていく事くらい……。
 あたしは考えるのをやめて、枕に顔を埋めた。この誘惑に打ち克てるかどうか、答えを出さないといけないのは、あたしも同じだ。

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