第3話:おばあちゃんの遺したもの [2/4]
玄関が騒がしい。僕は深呼吸を一つしてから、そちらへ向かう。思ったよりも早かったな。
「貴方」
そこではスーツに身を包んだターニャと、扇で顔の半分を隠しているカタリナさんが応対していた。
「下の村に移住してきた人達だそうです。後はお任せしますから」
カタリナさんはそう言って下がる。他の人達に状況を知らせに行ったんだろう。ターニャは不安げに僕を見る。
「旦那様」
「あんたが此処の主人か。いつから此処に?」
「つい先日。うちの資産リストを検めていた所、長年近寄れなかった島に領地があると判りまして」
口の端を吊り上げ、形だけの笑みを浮かべる。新住人達は狼狽えた。
「ぜ、税金を納めろって言うのか?」
「待て、こいつが本当にここの領主かどうかはわからねえぞ」
「確かに。あんた、一体何処の何者だ?」
「これは申し遅れました」
まず先に名乗ってほしいなと思いつつ、十年以上ぶりに長ったらしい己の名を暗唱する。姓を言い終わったところで、乗り込んできた住人達の顔色が変わった。
「――って、まさか――侯爵?」
「いやいや。父が存命ですので私に爵位はありませんよ」
否定しながら肯定すると、住人達は態度を改めた。
「そ、そうですか。いやしかし貴族様だったとは」
これだから嫌なんだよ。何にもしてないのに、ただこの体を流れる血だけで扱いが変わるのは。まあ普段は僕がへこへこする側なんだけども。
「しかし、――侯爵の領地は――群島の方では?」
「ええ。此処は私の祖母の実家でして。残念ながら、爵位を継承する暇も無く島が閉ざされてしまったそうですが、通常の相続順でいけば、今は私の父が領地やこの建物の所有権を持つことになります」
「本人じゃないって、なんか怪しくない?」
それまで一歩後ろで様子を窺っていた住人の女性が、別の住人に耳打ちした。やれやれ、時々勘が鋭い人が居て困る。むりやり話をまとめるか。
「それで、皆さんは一体どういうご用件で?」
「あ、いえ。もし空き家であれば集会所に改修しようと思い」
「しかし、貴族様の持ち物であれば、他の住民にもそう伝えておきます」
「そうしていただけますと――」
「待って! 結局私達は貴方達の領地を開拓してるのよ。地代の徴収はどうなさるおつもりで?」
先程の女性だ。視点が鋭い。
「結構ですよ。この島については完全に棚からぼた餅ですし、生活には困っていませんし。この丘と、建物と、騎空艇を泊める為の崖の方だけ触らないでいただければ」
この返答で、女性はますます僕を訝しんだ様だった。
「地代は要らないなんて、奇特な貴族様ですこと。それとも侯爵様というのはそんなにお金持ちなのかしら」
そりゃ、こんな辺鄙な島から得られる地代は僕の実家の収入の一パーセントにもならないけど……ここはガメとく方が自然だったか……。
「近くで見ると、建物もボロボロですし。本当に此処に住まうおつもりで?」
「改修工事に着手したばかりなので、お見苦しいのは承知です。此処は、娘に避暑や静養のため使わせようと考えております」
「へえ、娘さんが。まだ小さいんじゃ?」
手前に居た男が口を挟む。
「お恥ずかしながら、若い時分に作った子でして。一応手離れはしています」
「なるほど。隠し子を幽閉しておくには、確かにお誂え向きだね」
女性はやっと納得した様だ。その言われ方は癪に障るが、もうそういう事で良いか?
どう答えようかと悩んでいると、ピアノの音が響く。初心者向けのクラシック。どこかたどたどしい演奏。
「……娘が弾くんです。夜中は弾かせませんので」
調律が終わったその音が決め手となってくれた。狂った音をその日の内に直したという事は、お抱えの調律師が居るという証明だ。そして、そんなものは音楽一家か貴族くらいしか雇わないし、雇えない。
「ああ。まあ、そういう事なら。この丘と、屋敷と、崖はお宅の土地、それ以外は税金無しで早い者勝ち。それで良いんですよね?」
「心配なら誓約書をお作りしましょう。ターニャ、紙とペンを」
「すぐお持ちします」
勝手な事をして。脳内に住まうお父様が何か言ったけれど、まあ良いや。バレたって僕一人が叱責を受ければ良いだけの話。それにお父様だって、別にこの島の土地を惜しがったりしないだろう。
「お待たせいたしました」
ターニャが持ってきた紙に魔法で約束事を記す。最後にサインをして、住人に渡した。
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