宇宙混沌
Eyecatch

第1章:いきなり本番は駄目です [1/3]

「ただいま~」
 僕は密偵[スパイ]の任務を終えて宿に戻って来た。別の仕事をしていた筈のスツルム殿は既に鎧を脱いでいて、ベッドの上に座って剣を磨いている。僕が遅くなったのだから当然か。
「おかえり。ご苦労だったな」
「ほんとにねー。シャワー浴びる」
 聞き出した情報を書き留めもせずに、浴室へ。尤も、危ない情報を迂闊に書き残しておくほど僕も馬鹿じゃない。
 鏡の中には長い黒髪を後ろで束ねた、碧眼のエルーンが居た。髪を解き、それぞれの色を変える魔法を解くと、空の様に青い髪に、猛禽の様な黄色い目の男が映る。
 僕は傭兵なんだけどなあ。この世界での傭兵は、何でも屋として扱われる節がある。騎空士との違いは、空を飛ばない事くらいか。
 僕の場合は、この甘い顔と口の上手さを買われて、傭兵らしく戦う事よりも、密偵として敵の情報を聞き出す仕事を依頼される事が多かった。
 必要最低限の護身具しか着けていなかった装備を脱いで、脱衣所に備え付けの籠に突っ込む。蛇口を捻って湯を被る瞬間は、解放された、という安堵と同時に、ああ、またやってしまった、という後悔をもたらした。
 自分の身体を使って相手を懐柔する事を覚えたのは、相手を口車に乗せる事を覚えたのよりも早かった。家出したての、まだ子供と言っても過言じゃなかった僕の前も後ろも犯したのは、路頭に迷っていた僕を助けてくれた親切そうなおじさんだった。
 殆どの人間が知らずにその人生を終える事が出来る、要らない知識を付けてしまった。僕はそのおじさんからお金を搾り取れるだけ搾り取って、最後に腹いせと称して彼の奥さんに全ての事を打ち明けた。最初はそんなつもりは無かったが、その家庭が崩壊して一人娘が路頭に迷ったらしい、と聞いて、僕はそのおじさんが僕に教えてくれたのと同じ事を、その娘に教えてあげた。生憎僕は面倒見が良くないので、一回きりでまた迷わせる事にしたけどね。
 復讐は何も生まない、なんて綺麗事を言う人間は嫌いだ。何も生まなくても良い、ただ僕の溜飲を下げるにはこれしかないのだ。例えそれが束の間で、その後こうして酷い後悔に苛まれるとしても。
 シャワーを止め、脱衣所に出る。スツルム殿が気を利かせて、新しい服を持って来てくれていた。
「お待たせー」
 椅子に倒れ込むように座ると、スツルム殿が立ち上がって僕の濡れた髪の毛を拭いた。
 スツルム殿とは敵として戦場で出会った。周囲に愛されて育った事が良く解る、とても真っ直ぐな生き方をしている少女だった。僕にとってはそれが羨ましくもあり、そして憧れでもあった。何一つ疑わずに他人の為に生きるなんて、物事を良く知りすぎている僕にはもう、到底無理な話だ。
 最初は僕が一方的につきまとっていたのだけど、今はこうして一緒に組んで仕事をしてくれるのが嬉しい。彼女は面倒見も良くて、髪を拭かれながら目を閉じれば、小さい頃風呂上がりに使用人が髪を乾かしてくれたのを思い出す。あの頃はまだおばあちゃんが生きていて……僕だって、世界はもっと美しいと、信じていたんだ。
「今日こそ聞き出せたのか?」
「うん。やっとおしまい」
 ほんと、何回腰を振らせたら気が済むんだと思った。
「依頼人には?」
「明日の朝報告に行くよ。もう遅いし、ほら、今日はスツルム殿のお祝いをしなきゃ」
 スツルム殿がタオルを外し、部屋に張ったロープにかける。
「誕生日なんて、別に祝わなくても良い」
「そういう訳にはいかないよ。傭兵になる前は毎年祝ってもらってたでしょ?」
「まあ……」
「今年は仕事の都合でバタバタしちゃったけどさ、これからご飯奢るくらいはさせてよ、ね?」

♥すると著者のモチベがちょっと上がります&ランキングなどに反映されます。
※リストへの反映には時間がかかります。

Written by